2005年09月07日

キャスティング

昔、角川映画のコピーに
「読んでから観るか、観てから読むか」というのがあったけど、
原作を読んだ後、映画を観るとそのキャスティングに不満を持つことが多い。

最近では、以前このブログで書いた京極夏彦「枯獲鳥の夏」がそうだった。
ちょっと前なら、「ホワイトアウト」の織田裕二は、ちょっとなと思った覚えがある。
私は原作を読んでいないが、「亡国のイージス」を読んだ人はどう思ったのだろう。
ともかく原作を読んだ後、特にその原作に思い入れがあった人にとって
キャスティングは非常に大きな問題でたいていの場合不満が残るようだ。
「ハリーポッター」シリーズは原作そのままだと思った人が多かったようだが。

逆に原作本を読んでいないと、映画のイメージがそのままになり、
原作を読んでいてもその俳優をイメージして読んでしまうこともある。
たとえば、映画ではないが「ドラえもん」を原作本で読むとき、
ドラえもんのセリフを大山のぶ代の声で読んでしまう人は多いんじゃないだろうか。
これなんか原作を超えてアニメが自立した典型的な例だろうが、多かれ少なかれ
映画の俳優のイメージが残ってしまうのは確かだ。

また、同じキャラクターを多くの人で演じていて
誰が一番いいかというのも、よく話題になる。
たとえば、横溝正史原作の金田一耕助役は、
角川映画では石坂浩二、TVでは古谷一行、松竹の「八つ墓村」では渥美清が同じ時期に
演じていた。その後も加賀丈史ら多くの人が演じている。(詳しくはここ
私は石坂浩二のイメージが強いが、古谷一行の方が適役だったように思う。
また「失楽園」では、映画が役所広司・黒木瞳、テレビが古谷一行・川島なお美と
当時古谷一行がマスコミでスキャンダルを報じられていたこともあってか、
テレビの二人がひどく見劣りしていた。
最近では「世界の中心で愛を叫ぶ」が、映画で大沢たかお・森山未來、
テレビで緒方直人・山田孝之でこれも個人的には映画版の方が適役だったと思う。
亜紀役の長澤まさみ、綾瀬はるかはどちらも輝きを放っており甲乙つけがたかった。
こうしてみると、やや映画の方が優勢な気がするのは私だけだろうか。

また、大藪春彦の「野獣死すべし」が松田優作で映画化されたとき、
大藪ファンで優作ファンの私はこれぞ適役と楽しみにしていたが、
期待を大きく裏切って(いい意味で)原作と全く違う主人公伊達邦彦像を
作り上げていた。具体的には原作も優作も強靱な男というイメージだったが、
映画ではあえてひ弱な役になっていた。これは特異な例だったのではないだろうか。

その他、映画を観る上でキャスティングという観点は一つの大きな楽しみの一つである。
映画には様々な人が関わっているが、私が出演者、監督の次にやってみたいのがこの
キャステイングの仕事だ。お気に入りの原作を自分のこだわりでキャスティングするのは
きっと楽しい行為だろう。でも、苦労するだろうな。

最後に一言:テレビでの何でもかんでもジャニーズというのはやめて欲しい。



↓↓松田優作が電車の中でリップバンウインクルの話をするところは必見
posted by 中年映画少年 at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | その他雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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